青織部鉢の三本松文様である。 この三本松の意匠は九州・唐津のやきものに共通している。 両者の古窯から瓜二つのものが出土する。 文禄・慶長の役に、古田織部が九州・名護屋に在陣し、加藤景延をして登り窯の技術を学ばせる傍ら、意匠の交流も深まっていたと思われる。 ギブ・アンド・テイクである。 | ||
注) |
美濃焼きの中心が五斗蒔街道の、元屋敷窯であった。 ここは妻木城主・寺沢志摩守であった。 この血縁関係を無視して、元屋敷窯(つまり連房式登り窯)の誕生は考えられない。 登り窯は現代でいえば、コンベア・システムである。 |