古田織部(1544〜1615)は岐阜県本巣町に生まれ、
長じて織田信長に仕え、そのあと豊臣秀吉の下で
3万5千石の大名となり、安土・桃山時代の絢爛豪華
な文化の創生に貢献。
武家茶法「織部派」、また、やきものでは「織部焼き」
を残した。
のち徳川二代将軍・秀忠の茶道指南役のとき、徳川・
豊臣の両家の間の和平に努力するが成功せず、大坂
夏の陣のあと、徳川家康の命により切腹。
長男の重嗣を始め5名の男子、いずれも戦死または
自決して、一家断絶となる。

 肖像画は写しでORIBE研究家・久野治が描く。
原画はやまと絵の大家・林雲鳳画伯(1899〜1989)の
「古田織部」による。
絵は昭和54年(1979)英国・ロンドンの大英博物館の
副官長、ローレンス・スミス氏によって買い上げられ、
現在は同館に所蔵されている。

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